昭和二十一年(1946年)〜昭和三十六年(1961年)
昭和二十五年一月三日 人生の設計
過去 苦難時代 小学校から三十歳まで(受験生活)
生活難時代 三十歳から四十歳まで
発展時代 四十歳から五十歳まで
未来 実力時代 五十歳から六十歳まで
余命 六十歳から七十歳まで
昭和二十六年八月二日 税理士会創立総会
会場ー熊本農協会館 宴会ー東浜屋
昭和二十九年十一月十三日 事務所落成式
九月二十日に上棟式をした新事務所がいよいよ完成し、知名の有志と恩人を選定して落成式挙行。多忙な人々に拘わらず全員出席してもらって嬉しかった。署長、課長、藤本、桑原、岡本、圓佛、和久田氏等二十二名。翌十四日には、午後一時に、直税課長以下二十名、三時に後藤先生以下二十三名を案内して、無事、落成の祝を終る。
昭和三十一年十二月二十六日 貞夫の慶事
十二月八日付で貞夫の税理士試験合格証をもらった。今年までは駄目だろうと思っていたのに、合格とは実に嬉しく有難い。自分が万一の場合、事務員十八名と、事業の崩壊の危険を心配していたが、貞夫の予備ができたことは、盤石の強みである。合格を祝福するとともに、今後は頭を低くして、実をとってくれるように祈念する。
貞夫と、服部様の結婚の問題が一年掛って確定し、樽入れを済ませた。本日、仲人の藤本様夫妻、水洗様夫人に来ていただいて、服部様に結納を届けた。これで完全に桂子様を上原家に迎えることが確定した。自分たちが安心して迎えうるには、こんな恵まれた条件はない。
昭和三十二年一月一日 人生の真相
<宇宙と生命>
宇宙の広大無辺なる様を眺め、自然界の神妙神秘なるを観るべし。
以ってその中に於ける人生を考えて、生と死を知るは、真に正しく生きる道なり。
思うに人間一切の苦は、身も心さえも私の自由ならざる微弱細小なる力と寿命なるを、尚、我を張り願望を事とするによりて生ず。実に愚かなることなり。
〈観念〉
蓋し、人の命は、光陰と運命とに委せられて暫くも止め難く、毫も逆らい難し。身は即ち我がもののごとく見えて、実は我がものにあらざるなり。
須く此の真理をわきまえて、如何なることも、平然自若として之を受け、笑って大事に望み得る覚悟なからざるべからず。
〈転禍為福〉
楽必ずしも楽しからず、苦必ずしも苦しからざる因果応報の真理あり。
また、「艱難汝を玉にす」とも云えり。如何なる悲境も、如何なる困難も怖るるに当たらず。運命に従いて逆らうことなく、万事気楽に、転禍為福の工夫を図るを最善とすべし。
〈要諦〉
要するに何事にも苦慮することなく、悧巧ぶらず、作り飾りをすることなく、人を咎めず、我を苦しめず、焦らず、怖れず、而して悠々たること馬鹿の如くにもなりて、其の与えられたる寿命を得れば可なり。
如何なる困難にも自若として、恒に虚心坦懐、己の信ずるところ、欲するところを行いて怠ることなく、為すべきを為さば、既に明朗不惑、万事憂慮することなかるべし。
〈安心立命〉
かくて既に意を尽くして人生の真相を窮め、運命を賭けたる上は、再び思慮を繰り返すことなく心を軽くして、人類の幸福増進に全力を尽くす心掛けをもって、たゆまず努力すべきなり。
昭和三十二年十二月二日 内孫誕生
孫が生まれた。安産であり、母も子も至って元気の由、安心した。
女の子ということで、少しがっかりしたが、人間の半分が女である以上勝手な希望も云えない。祝や何やかんやでまた大変であろうが、何れにしても、一家にとっては重大な祝い事の一つである。妻や貞夫は有頂天になって、何度となく広重病院に行ったり、来たりしている。
三十数年前、自分は長女が生まれた時に出張先から帰りもしなかった冷たさが、今になって気になる。仕事に熱中していて、一晩だけでも家に帰る心のゆとりがなかったのは、真面目すぎたのか。やはり将来の栄進のことばかりを思って、現実の家庭のことは、軽く扱っていたようだ。