昭和十三年(1938年)〜昭和十六年(1941年)
昭和十三年一月一日 実行したいこと
一、健康増進を図る。
ラジオ体操、冷水摩擦、労働、夜の歯磨、楽観主義。
二、読書研学に努力
経済学、経済情勢の研究、広範に読書、文字と文法、作文の研究。
三、文字は丁寧に
教科書の如く、文字はきれいに、手紙も丁寧に。
四、家庭は気楽に
家庭では呑気に、なるべく優しくする。
五、為すべきことを怠らず
為すべき事や、手紙の返事等着々と片付ける。
六、遊堕無為を排す
遊堕はいかぬ、不快な時間の空費はいけないが気楽に構える事は構わぬ。
昭和十四年八月三十日 近況の概要
夏休み中、尚絅校の良妻賢母の教育のせいか、則子がよく働き、毎朝五時過ぎ一番に起きて炊事をした。自分は大抵五時半に起きてラジオ体操。八時前出勤。五時〜六時退勤。芳も忙しいらしく朝から晩までバタバタと働いている。母は三千夫の子守で骨が折れるらしい。
貞夫はまだ健康回復が出来ぬ。隔日毎に小柳様の来診を頼み、ヤトコニンの注射をしてもらって少し健康を回復していたが、昨夜一時頃発熱、二時半頃、小柳様帰られた後又只ならぬ容態だったので再度往診を頼み、食塩注射等してもらって漸く正気を取り戻した。
昭和十五年一月一日 第二段階を考える
大正十五年、宮地税務署から長崎、直方、福岡、熊本と最善の奮闘を重ねてきた。種々の法人関係の難問も、誠意と、努力で解決を果たし、昇給も常に抜擢をうけて、同僚とは格段の差がついている。自分の税界奮闘史は、一応完成したものと思うので、これから愈々第二段階に入る。為すべきことは非常に多い。先ず、生活改善の必要を感じる。近くは、家庭生活幸福増進のため、遠くは、来るべき自分の第二の仕事の為である。折角のことに、何か自分の事業を起こしたいとも考える。
何をするにしても、現在くらいの実力では心許無い。確固たる力強い将来を打ち立てるためにも、生活を改善して自己の発展に資する必要を感じること切なきものがある。
昭和十六年四月一日 これからの人生
一、大地を踏みしめて行け。 二、虚栄を見ず、自我に生きよ。
三、堂々の気概を失うな。 四、為すべきことを怠るな。
五、毎日毎日を大事に。 六、清い心で遠慮なく。
七、明るい心で打ち解けよ。 八、姿勢と態度を上品に。
九、専念して煩慮はやめる。 十、話し合いをよくせよ。
十一、読書を怠るな。 十二、努めて労働せよ。
十三、健康増進を図れ。
昭和十六年五月七日 辞表提出
二日から六日までの、(税務監督)局最後の出張(大牟田方面)を終え、本日辞表を提出した。「断行不惑」の決意固し。八日より休暇を取る。